2012年 07月 28日
吉野ケルン |
5月の連休に穂高で亡くなった吉野さんの「偲ぶ会」が行われた
たくさんの方々が集まり思い出などを話された
若い頃(37年前)、阿蘇で初めて岩登りを教えて頂いたのが吉野さん
大牟田地区協議会などで良く顔を合わせた
10年ほど前、山のスケッチを会報に掲載させてくれないかと相談があった
その後しばらく会報にスケッチの掲載が続いた
毎月1枚の山のスケッチを描くのがノルマとなったが、このことがあったから何とか描けた。
それから吉野さんにはホームページの作り方を教えた
吉野さんの自宅に何度も足を運んだ
食事も良くご馳走になった
登山技術を熱心に教えておられ、それが楽しそうだった
山の本もたくさん読まれていた
色んな話しをしたが、議題によってはいつの間にかケンケンガクガクの議論に発展することも多々
その頑固さは、筋金入りでいつまで話しても平行線、困ったもんだった
しかし、ストレートなその人間味は判りやすく、愛すべき人だった
私はそんな吉野さんが好きだった
追悼登山の折り鷲が峰のよく見える場所に仲間と一緒にケルンを積んだ
今日最後に、このケルンの紹介があった
たくさんの方々が集まり思い出などを話された
若い頃(37年前)、阿蘇で初めて岩登りを教えて頂いたのが吉野さん
大牟田地区協議会などで良く顔を合わせた
10年ほど前、山のスケッチを会報に掲載させてくれないかと相談があった
その後しばらく会報にスケッチの掲載が続いた
毎月1枚の山のスケッチを描くのがノルマとなったが、このことがあったから何とか描けた。
それから吉野さんにはホームページの作り方を教えた
吉野さんの自宅に何度も足を運んだ
食事も良くご馳走になった
登山技術を熱心に教えておられ、それが楽しそうだった
山の本もたくさん読まれていた
色んな話しをしたが、議題によってはいつの間にかケンケンガクガクの議論に発展することも多々
その頑固さは、筋金入りでいつまで話しても平行線、困ったもんだった
しかし、ストレートなその人間味は判りやすく、愛すべき人だった
私はそんな吉野さんが好きだった
追悼登山の折り鷲が峰のよく見える場所に仲間と一緒にケルンを積んだ
今日最後に、このケルンの紹介があった
by smatsubayashi
| 2012-07-28 23:53
| 登山